弥生時代の警備

紀元前2000年~ 大陸渡来人の移動によって稲作が伝来してきた時代を弥生時代と知られています。

 

しかし紀元前6000年頃には、すでに農耕の形跡が残っている遺跡が発掘されているので、稲作伝来=弥生時代というのはナンセンスですね。

 

ただし、この時代に文明発展やテクノロジーの進化を遂げたことは間違いありません。

 

なぜこの時代に進化があったのか。
その答えの一つは【戦】です。

 

縄文遺跡の遺跡から発掘された遺骨には【傷】が無いのです。

はたまた弥生時代とされる遺跡からは【傷痕】の形跡が確認される遺骨が、急激に増えて発見されています。

 

弥生時代の遺跡から発掘されたしゃれこうべ

 

 

紀元前から始まっているテクノロジー革命

この【戦】によって住居、コミュニケーション、文字、武器などのあらゆる分野でテクノロジー革命が起きたと考えられています。

 

また近畿中心に東西へ稲作が広がってきた時代です。そのため【領地争い】が頻発したと考えられております。

 

この【テクノロジーの進歩】と【領地争い】という二つの要因によって【戦】が成されていたのです。

 

吉野ケ里遺跡から見る警備

当時の遺跡で最も有名な遺跡の一つに吉野ケ里遺跡があります。
吉野ケ里遺跡には、柵や監視台のような櫓を再現されています。

 

 

この守りを行っていた人々が当時の【警備員】にあたります。

安全欲求が求められていた社会なので、当時の警備は兵士というイメージになります。

命を懸ける度合いが現代とは異なりますが【安全】という事業に変わりはありません。

 

 

警備の進化が始まりだしたのは戦後ではないのですね。
古代時代から今に至るまで、その進化が続いているのです。